アベイル新聞vol.1  匠としてのこだわりをインタビュー

信
代表取締役社長 小谷 理実

ファッションビジネスへの情熱

小谷社長の匠としてのこだわりについて、ご経験やお考えを伺えますか。

小谷:私は会社設立後の一番厳しい時代をアパレル製品の製造工場の方々に助けて頂きました。20年以上に渡り日本中を駆け回り、今ではシステムを通じて、全国に数百社のお客様を持つまでになりました。そして今では大手アパレル及び小売企業のお客様も沢山出来ました。振り返れば、社会人になってから日本データ通信に在籍した6年を除いて、ほとんどの人生を繊維業界と共に生きたわけです。
この「信」とは「自分の信じる道を信念を持って生きる」という意味です。

私はシステムを通じて業界に貢献し、少しでも多くの企業のために生きて行きたいと思っています。低価格でありながら、充分な機能を保有し、使用する現場で「使える」と第一に喜んでもらえる商品を世に送り出すことが使命、と思い今後も活動を続けて行きたいと思っています。

小谷社長がアベイル起業に至った経緯と想いは、何だったのでしょうか。

小谷:私が起業に至った経緯は以下の事が大きく起因しています。私は日本データ通信時代、長年日本電気に出向しており、その頃は産業用ロボットを動かすプログラム開発をしていました。日本電気は品質の安定を図るために、レビューと言って各担当に分かれて作成したプログラム設計書をプロジェクト全員で回覧し、意見を出し合って設計の確認をしていました。
しかし、その方法は、品質を安定させる事は出来ても、斬新な発想を持って作成した設計を皆が理解できない場合は、皆がわかる仕様に変更させられてしまい、独創的な考えは打ち消されてしまいます。

ジレンマをかかえていらした、と。

小谷:ええ。その頃アメリカのプログラムは日本より15年は進んでいました。私はアメリカに友人がいたので、彼から色々な情報を入手し設計に取り入れました。しかしプロジェクトメンバーには中々理解を得られず、毎回、設計変更をすることになります。その繰り返しの中で、段々新しい技術を考えても無駄なような気がして、やる気が失せていく自分がいたんです。
それで、アメリカの友人に日本のソフト開発の現状を打ち明けました。そしたら彼から「アメリカは1人の天才の下に10人のワーカーがいて、天才の考えた独創的な発想をワーカーがプログラムを作るんだ、だから驚くような発想のプログラムが出来るんだ」と言われ、その言葉が妙に心に響きました。 別に自分が天才だとは思いませんでしたが、「自由な発想の元でプログラムが作りたい」そう思ったら独立しかないと思い、起業をしたのです。特に何が出来るとも正直思ってもいなかったんですが楽しく仕事がしたかったのだと思います。

なぜ、アパレルシステムを手がけようと考えられたのでしょうか。

小谷: ソフトウエアは時間を売るのではなく、ノウハウを売ってお客様に利益を与えてこそ、起業した意味があると思っていました。
アパレルシステムをやろうと思ったわけは、偶然、東京ニットファッション工業組合の情報化事業に携わった時、あまりにもパソコン知識がない人達を見て、指導をする楽しさを覚えました。また教えた人達の嬉しそうな顔を見ているうちに自然とのめり込んで行ったんだと思います。
そして、私が経営的に苦しんでいた時に助けてくれた人達が、アパレル関連の工場の人達だった、というのも大きな理由です。たくさん受けた相談の中で、随分と高額で使えないシステムを見る機会も多かった。私が丸紅時代に経験した製品とテキスタイルの生産経験がお客様に生かせる事もわかり、この業界の仕組みを考える事が楽しかったからです。

小谷社長の原動力は「楽しい」という感覚なんですね。

小谷: はい。実に単純な発想だと思います。

小谷社長の夢をお聞き出来ますか。

小谷: ファッションビジネスに向けたソリューション、川上から川下までトータルで包括するシステム開発に更に力を入れていくことです。そのためには優秀な人材が必要であると考え、専門知識の高い人材を採用していく。そして、世に中にはない、他社では真似の出来ない安価で使いやすい商品を世に出していく。そうすることで業界に貢献したいと考えています。

小谷 理実

  • 法政大学社会学部を卒業。
  • 旧丸紅テックス株式会社に入社し、繊維部門にてアパレル製品の生産管理業務を3年間経験。
  • 日本データ通信株式会社に転職し、産業用ロボットのソフト開発及び東レアパレルCADのPC化プロジェクトに参加。
  • 1989年、株式会社アベイルを設立し、東京ニットファッション工業組合の情報化推進事業を通じて、 アパレル製造現場を学ぶ。
  • 「アパレルの生産管理現場を知った上でソフト開発を行うことができる」という基盤ができあがる。
  • その後、アパレル及び生産工場専用のパッケージソフト(経営改革シリーズ)を開発し、数々の企業の業務改善を実現させた
  • 2003年上海進出をきっかけに、天津、大連に開発センターを設立。